Monthly Archives: 1月 2013

ロシアタレントとの出会い #4

4_1 私は外国人のモデルを数多く撮影していたので自然に彼女たちと親しく交流が出来たのです。私は当時週刊誌や月刊誌のグラビア(平凡パンチ、週刊プレイボーイ、週刊ポスト、etc.)の仕事をしていたので人物写真撮影は特に自信がありました。彼女達が気にいる写真を数多く撮ってあげました。
当時モスクワではスタジオ写真はとても高価だったので、彼女達は撮影する機会も無かったのでしょう。こんなに写真を撮ってもらったのは生まれて初めてと彼女達はとても喜んでいました。
その後、ロシアタレントは店に出る前に私のスタジオに頻繁に遊びに来るようになったのです。
私のスタジオにはピアノがあるのでピアノを弾きたくて訪れるタレントもいました。

4_2 アンナ18歳

4_3この頃から私はロシアから来るタレントの相談役になっていきました。
世の男性は彼女たちと会う為に、店に来てお金を払わなくては話す事も出来ないのにです。
私の所にはいつもきれいなロシア女性が遊びに来ていたので多くの男性は私を羨ましがっていました。彼女達の足は長く肌が真っ白なので町を歩くと皆が振り返るほどとても目立っていました。ナイトクラブの動く広告塔でした。
私が撮った宣伝写真は彼女たちの間で評判になり、この頃から多くの外国人が私のスタジオにポートレート撮影を頼みに来るようになりました。

ロシアタレントとの出会い #3

平成5年夏にロシアタレントが7名来日しました。
クラブのオーナーはタレントの宣伝写真を撮って欲しいと言うので私は快く撮影することにしました。

3 オーナーもかなり張り切ってタレントたちに指示を出していました。店内のステージの周りに4台大きなストロボをセットしたのでタレントたちはもう映画スターになったような…ちょっと興奮気味でした。
最初は店の中央にあるステージの上で彼女達にロシアの民族衣装を着てもらい、いろいろなポーズをして宣伝写真を撮りました。彼女達もプロのモデルのように次から次へとポーズを変えてカメラの前に立っていました。外人は日本人と比べてポーズを取るのがとても上手で素人とは思えないほど出来栄えの良い写真になりました。
慣れてくると何も言わなくても自分たちでポーズを作り撮ってほしいとリクエストをするのです。撮影の予定時間をオーバーして店の開店時間まで撮影を続けたのを覚えています。彼女達にまた写真を撮影するから今日は終りと、オーナーが日本語と英語を使って懸命に話していました。
撮影が終わっても彼女達の興奮は収まりません。彼女たちはこれから6か月間このクラブでエネルギッシュに働きお金を稼いで国に帰るのだろう...

おかしなことですがオーナーは全く英語もロシア語も話せないのです。今から思うとお互いに英語もロシア語も日本語も全く話せない者同士がなぜ仕事を続けられたのか不思議です。
日本語の辞書を毎日見て勉強するタレントと日本語になじめないタレントに分かれました。
驚くことに彼女達は瞬く間に日本語を理解することができるようになっていきました。
その後、来日したタレントの中からロシアで私の撮影のアシスタントになった人もいます。

ロシアタレントとの出会い #2

クラブをオープンするのには、まずロシア人タレントを決めることが第一です。
オーナーは東京のプロモーターから送られてきた写真を見てタレントを決めなくてはなりません。
これは写真のモデルを決める時と似ています。
クラブ経営も写真撮影の仕事も共通点があります。美しい女性無くしては成り立たない職業なのです。

モスクワのタレント事務所について少し話しましょう。
日本のクラブ経営者はきれいなロシア女性を集めてビジネスにつなげたい...
ロシアでは経済が悪いのでロシアのタレント事務所は日本にタレントを派遣してビジネスにつなげたい...
当時両国の考えが一致したようです。
タレントたちは手数料を取られても日本に来て働きたいと思ったのです。
ロシアの大使館関係者の協力を得てロシア女性が日本にタレントとして入国出来るようになりました。
最初の頃はモスクワ市内の女性を求人広告で募集したり、モデル事務所からモデルを集めてオーディションをしたりしていました。
当時は東京の一流のクラブにタレントを選ぶ優先権があり、前述のオーナーが選んだタレントが必ず彼の店に来る保証はありませんでした。
幸運にも最初に来た7人のタレントは美しい女性が多かったのです。
プロモーターは最初6人のタレントを派遣するという取り決めをしたのですが実際に来たのは7人でした。
契約以外で来たタレントがアンナと言う18歳の大学生でした。
このおまけのタレントが一番美人で店のナンバーワンになったのです。
これもオーナーの運の良さだったかもしれません。
後で書きますがこのアンナは私がロシア女性を撮影するきっかけになった女性第一号です。
とにかくロシア人女性がタレントとして日本に働きに来ると言う事は考えてもいなかった事です。

ロシアタレントとの出会い #1

私が如何にしてロシアでユーリア・ノーバを発掘できたのか、ロシア巨乳美少女ユーリアがどうして誕生したのか、私がなぜロシア女性に惹かれたのか、 どうしてモスクワで撮影を始めることになったのか、最初のきっかけを話したいと思います。ひとっ飛びにユーリアの話になってはロシアを理解することにはな りません。ユーリア・ノーバにたどり着くまで何年もの年月がかかりました。私が初めてモスクワへ行ったのは1994年でした。ユーリアに出会うまでいろい ろな出来事がありました。私はこの時代を思い出しながら日記を書いていきたいと思います。

当時、ナイトクラブを何軒も経営している知り合いが近所にいました。
私は海外で生活したことがあるので、彼は私の外国での話を聞きたくて時々スタジオに遊びに来ていました。当時、日本のクラブで働いているのはフィリピンタ レントがほとんどだったと思います。フィリピンタレントの宣伝写真を撮ってほしいと彼から撮影の依頼もありました。この、日本で外国人タレントの宣伝写真 を撮った事がきっかけでロシアで撮影をすることになるとは、そのときは考えてもいませんでした。
平成5年頃、彼はロシアの女性を日本に呼んでクラブをやりたいと、私に相談をしてきました。彼のビジネスも頭打ちで彼は起死回生を考えていたのでした。当時日本は景気も良かったので、私は彼に是非やったほうが良いとアドバイスしたのです。
当時ソ連は社会主義国だった為、簡単に行ける国ではなかったので特に興味があり、私はロシアに行ってみたいと考えていた時期でもありました。

20年前は日本にロシアの女性やフィリピン女性がタレントとして多く来日していました。またこの頃、マスコミの影響で東京でロシアンクラブが大評判になっていました。
平成5年夏に彼はロシアンパブ(ロシア女性のナイトクラブ)を近所にオープンしました。このナイトクラブは連日満員で大盛況となり店の前がロシアンストリートと呼ばれるようになりました。