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ロシアタレントとの出会い#20

img7301994年3月、私が最初にモスクワに行った時、街はすべて節電をしていました。ホテルや地下鉄などの電灯は60%しか点いていませんでした。計画停電もありストロボが使えなかったりして戸惑う事ばかりでした。このような状況の中で最初のモデルオーデションをしたのです。日本にいたタレント達がモスクワに帰国し、モデルエージェントと連絡をとり情報はあったのですが、初めてのモスクワでモデルがうまく探せるか不安がありました。 モスクワ郊外にあるバレースクールの教室で最初のオーデションをしました。煉瓦造りの古い建物で鉄の扉を開けて中に入った所は地下の廃坑のような所でした。急な階段を下りたところにあるスタジオまがいの小さな部屋にストロボをセットしモデルを待ちました。うす暗い廊下にモデルが立っていましたが暗くて顔が良く見えませんでした。ファッションモデル経験者と素人モデルが30人ほど集まりました。私の条件は初ヌードです。私は日本にいるロシアのタレントしか見ていなかったのでオーデションに来たモデル達がとても新鮮に見えたのです。各モデルと簡単な会話をし顔写真を撮って、結果は後で連絡することにしました。最初のオーデションには驚くほどのモデルはいませんでしたが若いモデル3人を選んで撮影することにしました。 オーデションが終わってしばらくするとアシスタントに報酬を要求されたのです。黙っていると仕事に関係ない人まで一緒についてきて報酬をくれと言うので困りました。当時、一か月の平均収入は300ドルと聞きました。私も初めての経験だったので初回は仕方なく彼らの要求通り支払ったのです。次回から、報酬に関しては仕事をする前に条件をつけて金額を交渉することにしたのです。私が良いモデルだと思うと彼らは足元を見てギャラを高くします。私としては売れるかどうかわからないモデルに法外なお金は払えません。最初はきっぱりと断ることが出来ない自分に腹がたちました。中途半端な態度はやめて『絶対に要らない』と断ると相手は態度を軟化させるという事もわかりました。日本のモデルエージェントと違って外国人に対して最初は法外な要求をするロシアのモデルエージェントのスタイルも徐々にわかってきました。その後も報酬の事では何度となく口論となりました。しかし私の提示した金額に相手が応じない場合、はっきりと断ることも出来るようになったのです。後日、モデル代を下げて再交渉の連絡が必ずあるのです。日本と違ってモデル代やアシスタントの報酬の基準価格が無いのでお金の交渉が最も大変なことでした。 後になってわかったのですが私が払うモデル代やアシスタントへの報酬は、ロシアの基準よりかなり高額だったらしいと聞きました。モデルとアシスタントが気持ち良く仕事をしてくれる事が良い作品につながる事だから...仕方ない...と思っています。