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ロシアタレントとの出会い#22

01モスクワから帰国してロシアモデル写真集の企画案を持って雑誌社を尋ねました。オーデションで選んだモデルの顔写真を見ながら編集長と打ち合わせをしました。後日会議の結果『ロシア美女紀行』として美少女達の写真集を制作することに決まったので、早速ロシアのアシスタントに私の希望するモデルを探すよう指示したのです。 2回目のモスクワは『ロシア美少女紀行写真集』の撮影でスタートしました。 1994年6月、夏の始めなので前回の冬のモスクワとはまるで町の感じが違って見えたのです。肌を大きく露出して個性的な服装で歩いている若い女性達がとても魅力的でした。最初のモスクワは冬の終わりだったので町は暗くて寒くて...良い印象はありませんでした。モスクワの夏は白夜なので夜遅くまで明るくてかなり長い時間撮影できるのでカメラマンにとって好都合でした。 ホテルはクレムリンに近いインツーリストに泊りました。モスクワの中央だったのでモデル達と会うのにとても便利な場所で、近くには国際電話局やマクドナルド一号店もありました。ホテルから日本に電話をかけると電話代があまりにも高くて驚きました。当時、ホテルから電話をする場合、電話代は先に払ってからでないと国際電話がかけられなかったのです。10分ぐらいの通話料金が一泊のホテル代と同じくらいでした。毎回電話代を前払いしなくてはいけないので不便で高くて...近くの国際電話局まで歩いて行って日本へ電話していました。国際電話局からかけた通話料金はホテルの通話料金の1割ぐらいでした。ホテルの中で利用する物はすべて高く...例えば日本で10円のコピー代がホテルでは一枚120円ぐらいでした。ホテルの近くにあるレストランは高くてまずいのでマクドナルドのハンバーガーを良く買って食べました。当時のモスクワはマクドナルドのハンバーガーは珍しくて高級品だったのです。ロケ先でハンバーガーを出すとモデル達は大喜びで瞬時にして無くなってしまうのです。私が食べる時には何も残っていないので次回は余るぐらい買って持って行くのですがやはり足りない状況でした。当時のモスクワはすべての物が世界一高いと感じました。地下鉄の入口には年老いたお婆さんが並んで物売りをしていました。人の集まるところには沢山の物売りが立っているのです。この頃のモスクワは大都市だと思っていたのですが人々の様子を見ると貧富の差が歴然としていました。私がホテルの前に立っていると男が寄ってきて『タバコをくれ』と言うのです。『ない』と言えば今度は『金をくれ』と要求するのです。小銭があったのでそれを渡すと『少ない』と言って投げつけるのですから...。この時、私はルーブルの貨幣価値がわからず小銭を渡したので男が怒ったのかもしれません...。わずかな滞在期間にも関わらず私はいろいろな場所で同じ経験をしました。日本では想像も出来ない事が日常茶飯事に起きている当時のモスクワでした。 0302