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ロシアタレントとの出会い#37

AC-09思い出したことがあるので話を少し前に戻す。 ユーリアをテスト撮影し帰国してから写真を見せた所、ユーリアの撮影に同行したいと申し出があった。ユーリアを撮っても作品がヒットするか全く予測できなかった私にとって協賛者が現れたことはとても有難いことだった。渡航費用、撮影経費など費用の心配無くモスクワに行けるからだ。しかし、渡航寸前で協賛者が『費用を出せないので中止したい』と言い出したのである。『何故...どーして?』渡航寸前のこの事態は私には大変なショックだった。 ユーリアを撮る前の10年間、ロシアで撮影した作品は雑誌社が買ってくれたので自費で行くことに心配は無かった。前にも書いたが巨乳モデルを撮るのはユーリアが初めて。作品の買い手も無いままモスクワに行くことも初めて。すでにモスクワでの撮影手配をスタッフに連絡していた事もあり、自費で行くしかないとモスクワ行きを決めざるを得なかった。撮影した作品の販路も決まらないまま不安を抱えて一人でモスクワに出かけた時の気持ちは忘れることが出来ない。崖っぷちに立たされた私には『やるしかない!』こんな気持ちになったのは初めての事だった。今思えば真剣に取り組んだ結果は良い作品につながったし、ユーリアを独占で撮影することが出来たのだから『禍転じて福』となった。渡航前にこのような出来事があったので次回の撮影をするべきか悩んだが、撮影を継続しなければモスクワのスタッフとの縁も切れてしまう...『とにかくユーリアにかけてみよう』と決心できたのもユーリアとの不思議な縁だったのかもしれない。 次回の撮影は決まり次第連絡するとスタッフに伝えて帰国した。渡航前の事件もあり帰国後、ユーリアの作品をどこにも売り込まず発表もしないまま時間が過ぎてしまった。BACHELOR誌にユーリアの写真を数枚掲載したことがきっかけでユーリアの存在が日本のみならず世界の巨乳ファンに知られることになるのである。