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2018年11月

ユーリアの初ヌードを撮った時の作品をリメークし来年春、DVDを発売する予定です。
作品のタイトルは『幸福の時間(しあわせのとき)デビュー』Part1、Part2です。
この作品はかなり長い時間を費やして編集しました。作品を作るべきか大変悩んだからです。ユーリアの作品にはいろいろなご意見があります。『作品が待ち遠しい』と言うファンも多いのでやはり作品を作り続けることが必要なのかなーと思っています。
ユーリアデビューから~~年、この世界ではロシアのレジェンドになったユーリア。正直ユーリアがこんなに長く世界中のファンから愛される存在になるとは想像すらしていなかった。いまだにユーリアを越えるモデルが発掘されていないのが現状である。いろいろな巨乳モデルが世界中から登場しているがユーリアのような清潔感のあるモデルは皆無である。新しいファンも増えてきているのでリメークしてでも良い作品を作り続けたいと思っている。

(写真は撮影日初日のユーリアです)


2018年9月

今年初めからユーリアの次回作編集を始めたがもう少しで完成できる。 撮影したフィルムを見ながら編集作業をしていると『こんなフィルムがあったのか...』『角度の違う所で撮っていたのを忘れていた...』など、編集作業を中断してフィルムに見入ってしまう。どうしても良い作品を作りたいと思うと時間がかかる。何度見ても飽きないモデル、ユーリアの作品を見てくれるファンがいる限り一生懸命作品を作りたいと思っている。 次回作はシャワーシーンを多く使っている。撮影に使った別荘は建物も家具も豪華な所を使った。どの部屋もアンティークな家具が置かれて撮影場所としては申し分なかったがバスルームやサウナルームは粗末だと感じた。撮影中シャワーの水が出なくなったりお湯が冷たくなったり...ハプニングも楽しみながらユーリアはカメラの前に立ち続けてくれた。私はカメラを抱えて壁に張り付くようにして撮影したり湯気に当たって汗だくになって狭いバスルームで夢中で撮影していた。ハプニングを感じさせることも無く楽しそうに優雅にシャワーを浴びるユーリアを見て欲しい。涼しい季節が待ち遠しい今、ユーリアの次回作をご期待ください。


2018年8月

今年の日本の夏は猛暑。私のスタジオがある伊勢崎は『日本一暑い所』にランクインしている。とにかく暑い。私が行った時のモスクワの夏は30℃を越える日は少なかった。夏なのに18℃の時もあった。しかし7月初めの撮影で33~4℃になった日があったことを思い出す。 日本に比べて湿度が無いので日陰にいれば暑さを避けることが出来る。この日の撮影はモデル、マリリンとブリジット、エレナ。 コスプレの衣裳を着ての撮影だった。外での撮影は暑さとの戦い。しかし冬が長い為か、モデル達は、暑い夏を満喫しているように見えた。彼女達は休憩時間、裸で過ごすので私は彼女達の日焼けが気になって仕方なかったことを思い出す。外の撮影は太陽が眩しいので、暑さと眩しさを表現してしまう彼女達の表情は絵にならない。日差しが強いのでモデル達の顔や体が赤く日焼けしてしまう。休み、休みの撮影で予定数のカットが撮れない。私はイライラしたのを思い出す。比較してはいけないがユーリアは暑い時でも決してわがままを言うことが無かった。 ホテルに戻ったら多くの旅行客がフロントに押しかけて『エアコンの部屋に変えて欲しい』と訴えていた。ホテルの室温は35℃になっていたのだから。当時のホテルは暖房だけは完璧だがエアコン付の部屋は少なかった。幸いこの時はエアコン付の部屋だったので私は快適に過ごすことが出来た。世界中、異常気象が続いている。海外での撮影は限られた日数の中で撮影しなければならない。想定外の出来事が多くなってきた今、海外での撮影は難しくなった。


2018年7月

ユーリアの次回作は順調に編集が進んでおります。 次回作の内容はユーリアのデビュー当時の復刻版として発売予定です。 シャワーシーンとサウナシーンが主になります。縦位置のカメラアングルで撮影したシーンは全く使っていなかった為、新しい映像で編集しました。 ホームページのリニューアルも完成までもう少し時間がかかりそうです。 今まではユーリアをメインに作品を作ってきましたが、以前から他のモデル達の作品も作って欲しいという要望もありました。皆様に楽しんで頂けるような作品をホームページからお届けしたいと検討しています、 今まで撮影した多数のモデル達、世界で人気のあるソフィー・ノーバやMetArtで人気があったアンナ、etc....の写真をDVD作品にしてホームページから販売も検討中です。 すべて電子化された作品が主流になっている時代であっても、まだまだ書籍や写真集、プリントを必要とするアナログ派も多くいます。いろいろな商品をHPに並べたいと考えています。ユーリアや他のロシアモデル達のオリジナルプリントの販売も検討中です。 この写真はユーリアとナターシャです。 ナターシャはファッションモデルとして活躍していました。背が高く個性的なモデルでした。まだ作品として発表していません。


2018年6月

ホームページをリニューアルしようと只今制作中。 ユーリアをはじめとしてロシアモデル達の学生服シリーズは未公開のフィルムが沢山あります。ロシアでも日本のコスプレ衣裳は大変人気があります。 コスプレ衣裳を見せると年齢関係なくモデル達は喜んで衣裳を着たがります。 『制服のサイズが小さくて着れない』『服が小さくてボタンがとめられない』等々...と言いながらもどうしても着たいと大騒ぎしていたモデル達を思い出しています。 制服の正しい着方も分からず自分達で勝手に着て楽しんでいたモデル達。写真を見ながら思わず笑ってしまう。あの時代だから撮れた写真かもしれない。 この写真はユーリアとマーシャ。自分達の好きな制服を選んで庭で楽しそうに遊んでいた二人を撮影しました。


2018年5月

この写真を見ながらこの頃のモスクワの町を思い出しています。レトロな建物や車、ノスタルジックな風景。昔の旧ソ連の町並みはもう再現できないだろう。美少女ユーリアの素朴なイメージがレトロな町並みに良く似合っている。今思うとあの頃のモスクワが懐かしく良き時代だったように思う。計画停電の中薄暗い部屋での撮影...手持ちのストロボで撮影したことも多かった。今このようなノスタルジーを感じさせる写真はもう撮ることが出来ない。ユーリアの初期の作品の良さは不朽の名作と我ながら自負している。手前味噌で恐縮です。この写真は今手がけている作品の中のひとコマです。グレーのタートルネックのセーターに黒のコートを着て白い息を吐きながら『ドーブルウートラ(おはようございます)』と笑顔で挨拶するユーリア。ホテルの前に集合してこれからモスクワ郊外の別荘へと向かいます。


2018年4月

今、手がけている作品を作りながら当時の様子を思い出しています。 ユーリアを初めてサウナで撮影した時のことです。季節は冬。暖かいシャワーを浴びて隣のサウナ室に濡れた体で入ってきたユーリア。照明設備が悪くて薄暗いサウナの撮影は私にとっては大変でしたがユーリアにとっては恥ずかしさが少し消えて良かったのかもしれません。ヌード撮影にまだ慣れていなかったユーリアはポーズも上手にできませんでした。ヌード撮影の経験が無いのですから仕方無いことです。 サウナ室は狭くかなりの暑さ、アシスタントは『熱い、熱い』と連発、熱さに耐え切れず『食事の支度をする』と言ってサウナ室を出て行ってしまいました。私とユーリア二人だけで撮影を続けました。私は撮る事に夢中で熱さも忘れて撮り続けました。サウナ室も熱気を帯びてユーリアの肌も汗ばみ、天真爛漫にポーズするユーリア。かなりの時間をかけてユーリアを撮り続けました。 デビューして間もない時でしたのでユーリアは恥ずかしいと思うことも無く一生懸命ポーズしてくれたのでありのままのユーリアを撮ることが出来たのです。二度と撮れない映像だと思ってフィルムを見ていると驚きの連続です。あどけなさが残る少女の艶かしいポーズ。フィルムをカットしたくない、無駄にしたくない思いで編集作業をしています。 最初の作品を作った時、制作会社から連絡があり『このままでは法律に反する』と約70箇所修正の指摘をされました。再度、編集しなおして発表したことを思い出しました。当時、『ユーリアのポーズを途中でカットしないで欲しい』とファンからよく言われたものです。制作会社の厳しい検閲があったので仕方なかったのです。最近もさらに厳しい審査がありますが以前に比べれば修正技術も進化しているのでユーリアのオリジナルフィルムを出来るだけカットせず作品化したいと思っています。しかし法律は守らないといけません。


2018年3月

写真集、雑誌などに使用したポジフイルムやデジタルデーターは選りすぐった写真でした。しかし未使用のフイルムの中には気づかなかった魅力あるユーリア、見慣れない写真も数多く発見しています。フイルムを見ていると新しい構想がわいてきて作品作りが前に進みません。ユーリアデビューのすべてを新しい形で発表したいと思っています。次から次にイメージが膨らみます。今選択した写真が300枚を超えています。どのような形で発表するか検討中です。


2018年2月

12月のオークションが終わり、一息ついたところ。 今年販売予定のユーリアの作品の編集にとりかかろうと思っています。 (幸福の時間)シリーズを連作で発表していきたいと思っています。 オリジナル映像をノーカットで見たいというファンの意見が多かったので昨年(幸福の時間)を作ってみました。 今回もオリジナル映像をノーカットで最小限の修正で作品にしていこうと思っています。 まだまだ未使用のフイルムが多くあるので期待に沿える作品になると思います。 DVDや書籍の時代からネット配信、電子書籍に大きく変化しつつある今。 海外の様々なヌード作品を見て研究しているが参考になる作品は見つからない。 バチェラー誌のグラビア写真も10年、20年前のモデルの写真が復活、掲載されている。 『健康的な裸で1950年~60年代のアメリカを駆け抜けた伝説のプレイメート』『巨乳に歴史あり』『後世に語り継がれる伝説の巨乳』(BACHELOR誌の記事から一部引用) 健康的なヌード、清潔感のあるユーリアのヌードはまさしく伝説のプレイメートと語り継がれるモデルになるだろう。 これからもユーリアは美しいグラマーモデルとしてファンに愛され続けると思う。この写真から編集を始めています。


2018年1月

明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いいたします。 昨年末6回目のオークションが終了しました。 『6回目となるとオークションもユーリアの衣裳だけでは物足りない』というファンの声もあったので今回はプレゼントの動画に力を入れました。 衣裳も一点、動画も一点と考えれば価値あるオークションと考えました。 今回は落札価格により動画の内容と録画時間を変えました。高額の落札者には特別な動画をプレゼントしました。 ミニ動画とはオリジナルフィルムのノーカット版です。DVD作品はオリジナルフィルムを編集して使います。ノーカット版の動画の面白さはDVD作品と趣が違います。しかしミニ動画を作品として販売することは難しいと考えています。ミニ動画だけをオークションに出品した場合、落札されるだろうか。ファンの意見を聞きたいと思っています。


2017年12月

オークションで衣裳を落札された方へプレゼントする動画の内容を簡単に説明します。 ユーリアがソファーに座ってメークしているシーンから始まります。 その後、隣の小さなベッドルームに移動してユーリアがベッドの上で楽しそうにはしゃいでいるシーン。ベッドルームから移動してピアノを弾いているシーン。ピアノから離れたユーリアは床に置いてあるラジオから聞こえる音楽に合わせて踊るシーン。踊った後、床の上でセクシーポーズをするユーリアのシーン。 今回プレゼントする動画のシーンは未公開のシーンも含まれます。黒のドレスを着て踊り始め徐々に衣裳を脱いでいくユーリア。曲に合わせて踊るシーンはとても迫力ある見応えのあるシーンです。今後このシーンは作品に使うことはありません。オークションに多くの方が参加することを期待しています。


2017年11月

Yahooオークションに出品する衣裳の準備が整いました。先月の段階ではすべての衣裳の確認ができていなかった為、出品する衣裳に変更が出てしまいました。動画の中で着ている衣裳が見つからなかった為、急遽、衣裳と衣裳着用の動画を変更する事にしました。 衣裳着用のシーンの動画を探すのは衣裳を探すより時間がかかります。今回出品する衣裳着用のシーンのオリジナルフィルムを探してから内容をチェックします。作品に使っていないシーンがどのくらいあるのか、ファンが見てみたいと思うシーンがあるのか、etc…フィルムに目を通します。衣裳着用のシーンのフィルムを探していたおかげでこんなシーンも撮っていたのかと新たに見つけることができました。作品を作る度にフィルムは見ているつもりだが撮影した自分が忘れてしまっているシーンがまだあるようだ。 今回プレゼントの動画もオリジナルフィルムをできるだけノーカットで作る予定です。期待以上のプレゼント作品が作れると良いのですが... 動画のコマを何枚か写真にしてみました。


2017年10月

今年もユーリアの衣裳をYahooオークションに出品します。 昨年のオークションはいろいろと考えさせる事が多く次回をどうするべきか悩んでしまった。ファンからの意見や要望を参考に6回目オークションは動画をつけることにしました。 今は出品する衣裳の選別作業中です。どのシーンで着たのか、写真はあるのか、動画はあるのか...など、衣裳を一着決めるには大変な時間がかかります。撮影終了後の衣装はどのシーンで着用したのかメモせずアシスタントがまとめてバッグに入れてしまいます。時間のある時はユーリアと衣裳について話をします。強行スケジュールの撮影の時はユーリアとアシスタントに衣裳のことはすべて任せっぱなし。衣裳を見てもどのシーンでユーリアが着たのかフイルムを見ないとわからない状態なのです。その為、オークションに出品する衣裳は私が特に記憶に残っている衣裳を探して出品しています。それでもフイルムを見ながら確かにこの衣裳なのかと確認をしなくてはいけない。間違いがあってはならないので時間をかけて慎重に衣裳と着用シーンのフイルムのチェックをしています。 特にユーリア着用のブラを識別するのはとても難しい。ユーリア愛用のブラはレースの柄と色がよく似ている。どのシーンで使ったのかわからないブラが沢山あるのです。 今回の動画は絶対作品化しないと思っていたフイルムの中から2点選んで動画を作ります。写真集Part4に掲載されている衣裳です。 赤のレースストレッチメッシュテディは特に印象があったので動画のシーンはこの衣装にしたいと思っています。 BACHELOR⑪の特集記事『発表!俺の生涯ベスト・モデル』に①リンジードーン・マッケンジー、②クロエ・ベブリエ、③ユーリア・ノーバ、④ダニー・アッシュ、~~~と書いてありました。


2017年9月

次回作は『RBD32』より以上にオリジナルフイルムをノーカットで編集し直して作品にしたいと思っています。 ユーリアデビュー当時のフイルムはきわどいシーンが多くあり、ほとんど未使用のまま作品化していませんでした。 今、オリジナルフイルムを見直しています。


2017年8月

久しぶりにユーリアの記事がBACHELOR誌に掲載されました。創刊40周年を迎えてBACHELOR誌も頑張っています。ユーリアも永遠のロシア美少女としてファンの前に登場し続けています。BACHELOR誌⑨にクロエ・ベブリエ健在として写真が掲載されています。50歳近くになるクロエはプロのモデルとして長い間活躍しています。ユーリアがプロのモデルになっていたら...あの純粋な美しさを維持できただろうか。 7月30日に【RBD32】『しあわせのとき』を発売した。今回はいろいろな意味を含めて初めての試み、当サイトより購入してくれるユーリアファンだけに作った作品でもある。内容はもっとも人気のあったバスルームのシーンのノーカット版である。一つのシーンだけの作品は今回が初めて。一つのシーンだけの作品の反響も知りたかった。 多くのファンはユーリアの作品を見ると『心が癒される』と言うが“ユーリアの作品は二次使用の作品“と言う人もいる。私としては新しいカットを入れて編集しているので二次使用の作品とは言われたくない。【RBD32】の発売を機にファンと新たな意見交換ができた事は私にとって大収穫だった。 今回の作品の反響によってはユーリア作品の制作中止を考えていた私である。ユーリアのフイルムは永久保存に値すると思っているのは私だけだろうか。しかし多くのファンは私と同意見だという事もわかった。作品は時間をかけて新たな視点で制作している。気がつかず初めから除外したフイルムを新たに見直すと新しい発見がある。二度と撮れない、二度と現れないモデル...、ユーリアのフイルムがここにあった。 これから10年後も記憶に残るモデルであるという事は間違いないと思う。BACHELOR誌の編集長も40年の歴史を見ても二度と現れないモデルだという事を認めている。海外のモデルエージェントも同様な事を言っている。 『美少女ユーリア』として記憶に残るモデルであると私は確信している。


2017年7月

新作DVD『幸福の時間」(しあわせのとき)』を7月に発売いたします。 今回のRBD32は大変人気のあったお風呂のシーンです。オリジナルフイルムをノーカットに近い65分の作品に仕上げました。この作品は当サイトのみで販売いたします。 ユーリアの撮影は台本無し、彼女の好きなように動いている様子を撮影しています。撮影中彼女はアシスタントとプライベートな話をしていることが多く会話はカットせざるを得ません。アシスタントがおしゃべりでユーリアの言葉と重なってしまい翻訳者が理解できない事も多いのです。 撮影中彼女たちが何を話しているのか私にはわかりません。アシスタントは日本に何回も来ていたのでユーリアは彼女に日本の事を聞いていたようです。作品の中でユーリアが日本に行けたら...の話をしています。今、考えてみるとこの時ユーリアを日本に連れて来ていたらどうだったか。何かが変わったかもしれません。この頃のロシア人は簡単にビザをとることが出来なかったのです。日本人がロシアに入国する場合でもいまだにビザが必要です。 このシーンは夏に撮影しました。ユーリアは日焼けしたくて外の撮影が大好きです。私はできるだけ日焼けして欲しくないので日陰で休ませながら撮影を続けるのですが外の撮影が続くと日焼けは仕方ありませんでした。ユーリアはシャワーを浴びたりお風呂に入ることが大好きです。作品の中でも彼女は話しています。外の撮影が終わるとすぐにバスルームに移動します。このバスルームでは1時間以上撮影を続けていました。長くお風呂に入っているのでお湯がぬるくなってしまったみたいでもう少し暖かくしてほしいと言いながら長湯を楽しむユーリアでした。ユーリアの上気した顔が幸せそうに見えたのでタイトルを『しあわせのとき』としました。


2017年6月

6月20日発売の週刊ポストに『BACHELOR』輝ける40年史が掲載された。 『BACHELOR誌』は外国の巨乳モデルを掲載している巨乳専門誌。 もちろん40年史に登場したモデルの一人としてユーリアの写真も掲載されている。 ロシアモデルとして初めて『BACHELOR誌』に掲載されたのもユーリアだったと記憶している。ユーリアの出現は世界中の巨乳モデルファンに衝撃と感動を与えた。当時、サーバーがダウンして機能しなくなったりしたこともあった。外国に本を販売している販売代理店が急に外国から『BACHELOR誌』の注文が増えたと言っていたことを思い出す。注文や問い合わせが急増したのはユーリアが『BACHELOR誌』にグラビア掲載されたのが理由だった。20年前は国内でも外人モデルを掲載した専門雑誌が多数の出版社から販売されていたが現在は『BACHELOR誌』だけになってしまった。 ユーリアの作品を発表する度に『BACHELOR誌』にはグラビア掲載をしてもらっていた。とにかくユーリアの写真を多く掲載した本は『BACHELOR誌』だけだったのだからこれからも元気な姿で継続して欲しいと思っている。


2017年5月

モスクワでモデルを撮り続けて約20年。 モスクワの時代の変化と共にモデル達のヌードを撮り続けてきました。当初の頃はソ連時代の格式ばった別荘や古いアパートなどで良く撮影したものでした。 寂寥感が漂う街並み、うす暗い街灯がともる街並み、撮影に必要な電源も自由に使えなかった時代に撮影した作品は今見ても新鮮です。 近代的に変貌したモスクワと同様にモデル達の顔や容姿も大きく変わったように思えます。作品化していないモデル達を電子書籍などで発表したいと思って、今フイルムをデジタル画像に作り替えています。大変手間のかかる作業ですが良い作品なので発表したいと思って作業を続けています。


2017年4月

ユーリアの肌の色をプリントで表現するのがとても難しい事もありオリジナルプリント販売をしばらく休むことにした。 写真はカメラマンの記憶に基づいた色で仕上がるのが理想。今は自宅でも簡単にプリントできる時代ですが微妙な色の調節はなかなか出来ない。ユーリアのオリジナルプリントは現像所に頼んでいるが最近、機械の故障で違う技術者がプリントを仕上げることになった。プリント仕上げをする技術者の色の感性の違いもあり思うような肌の色が出せません。しばらくの間、試し焼きを続けながら良い色に仕上るまでオリジナルプリントの販売を休むことに決めました。 例えばモスクワで撮影したモデルの写真をモスクワでプリントした場合と日本でプリントした場合では肌の色の違いが出ます。日本に帰ってから始めて気がついたのがプリントの色の違いでした。日本で撮影した人物を日本でプリントすると肌の色は希望に近い色に仕上がります。ソフィーや他のロシアモデルの場合は比較的肌の色は出しやすかったが撮影時のユーリアの肌の色を表現するのはとても難しくいつも仕上げに時間がかかった。現像液や印画紙、空気の違いもあるのかもしれないがユーリアの肌の色、肌の質感が感じられるようなプリントを販売したいと思っている。


2017年3月

インフォメーションにも書きましたが昨年からアマゾンのような大手通販サイトは審査をパスしたDVDのみ販売します。アダルト作品なのでモデルの年齢が18歳以上である事を証明する為にパスポートが必要らしい。 当時、私がモデルを撮影しようと思う時、まずオーデションを開く。会場はモデル学校だったりモデル事務所であったり会場に沢山のモデルが集まった。選んだモデルにはまずヌード撮影である事を本人が納得できるまで説明する。基本として私は初ヌードのモデルを撮りたいと思っていたので交渉はいつも時間がかかった。次は報酬をいくら払うかという事をモデル、モデルの親、又はモデルエージェントと話し合う。交渉成立すると本人のサインと生年月日を契約書に書いてもらって仕事にとりかかる。いつもこのパターンで撮影をしていたのでパスポートまでは考えていなかった。 今はきれいなモデル達が現れては消えネットを開けばいろいろなモデルを見ることが出来る。当サイトではユーリアがいた為、他のモデルを作品化する事がほとんどなかった。最近ネット上では過激なヌードが目に付く。ある人が『昔のヌード写真は良かったなー』『木津の撮ったモデル達は新鮮に見えるから作品にするべき』と言う。ユーリア以外のモデル達を作品にしようと構想を立てていた矢先に審査の問題が出てきて作業を一時中断している。18歳以上を証明する為にパスポートの提示を義務化されたわけだが審査の基準が曖昧な点も多く腹立たしい。もちろん個人で作品を販売する場合は審査を受けずに販売できる。問題は販路が閉ざされてしまうという事である。 撮影当時、写真のモデル(アンジェリーナ)は18歳、大学生、初ヌードだった。今見てもフレッシュで美しいモデルだと思う。彼女も含めて作品化したいと思っている。


2017年2月

01 02私がモスクワに1994年に渡航して23年が経ちました。本当に語りつくせない出来ごとばかりで語り始めたならば終わりがありません。今は懐かしい時の流れとして思い出しています。モスクワで撮影したモデル達の写真を見ながら思う事は20年間のモデル達の変化です。モデル達の顔、スタイル、性格の変化は作品にも表れているような気がします。20年前は何もなかったけれど素朴で素直な態度でモデル達は仕事をしてくれました。20年前の純粋さは今のモデル達から感じ取ることが出来ません。まずロシアの経済がモデル達に大きく影響したのかもしれません。経済が恵まれてくるとどうしてもわがままになり新鮮さも失われてきます。ユーリア以外ほとんどのモデル達の作品はDVD化していません。今は書籍が激減して電子書籍であったり、作品の配信であったり販売方法が変わりつつあります。 モスクワで最初のオーデションで選んだモデルは写真の2名でした。昔はオーデションを開くと沢山のモデル達が集まったのですが今はネットで写真を見ることが出来るのでオーデションにモデルは集まりません。当時は美しいモデルが多くて選ぶのに本当に困りました。ユーリアに出会うまではバストの大きいモデルはいませんでした。当初の頃、私はモデルの顔の良さを重要視して選んで撮影していました。この二人のモデルの撮影から私のロシアでの仕事が始まりました。


2017年1月

0112月19日、5回目のオークションが終了しました。 ユーリア着用の衣裳に興味を持って下さるユーリファンのお蔭で5回もオークションを続けることが出来ました。 ファンの衣裳への熱が少し冷めたのではないかという事を少し感じた今回のオークションでした。 ファンにとって価値ある衣裳を選んでいますが回を重ねる毎に難しくなってきました。 着用時のエピソードも添えたいと思うと衣裳も限定されます。 次回オークションを盛り上げるためにも事前にどんな衣装が良いのかファンのご意見を聞きたいと思っています。 例えば『DVD作品の中のどこのシーンで着用した衣裳』を出品して欲しいというように聞かせてもらえるととても助かります。 今回出品した『青い帽子とラメ入り青の水着』が高額で落札されたことは大変うれしい事です。出品者としては出品した各衣裳にいろいろな思い入れがあるので落札額は作品に対する評価、ユーリアの人気度と理解しているのです。この写真は今回落札された衣裳着用のユーリアの写真です。


2016年12月

img_9717夏の撮影がすべて終わりました。 別荘からの帰り、車の中でユーリアはアシスタントとおしゃべりに夢中。次の撮影は冬。『冬の撮影が待ち遠しい』と言っていました。 撮影した各シーンの画像はプリントして次の撮影の時ユーリアにプレゼントしています。写真はヌード以外の写真です。彼女は自分の裸の写真は見たがりません。彼女が欲しがる写真は自分の好きな衣裳を着た写真です。いつもうれしそうに写真を見ながら好きな写真を選んでバッグに入れて帰りました。ユーリアがプリントにサインをし始めたのは3回目の撮影からだったと思います。彼女はご機嫌な様子で自分の好きな写真にサインをしていました。とにかく楽しそうに沢山の数の写真にサインするのです。彼女が気に入った写真を見ることでユーリアの好きな衣裳を知ることが出来ました。彼女はどんな衣装でも美しく着こなしてくれます。着た衣裳は必ずたたんで置いてありました。丁寧で几帳面な性格は、いつの時でも彼女のしぐさで感じ取ることが出来ます。 作品作りに衣装は欠かせないものです。ユーリアに着せたい衣装を探すことを常に心がけていました。特にモスクワでは時間があれば衣装を買いに出かけました。但しユーリアのブラジャーはユーリア同伴の時に買うようにしていました。彼女のサイズを探すのに苦労しました。彼女にとってブラジャーは貴重なので大事に長く使っているようでした。時々、撮影に使った新しいブラと彼女自前のブラを交換してもらい記念に日本に持ち帰りました。 RBD25【ユーリアコスプレシリーズ『完全版 ザ・プレミアム』】の作品の中でユーリアが写真にサインしているシーンがあります。


2016年11月

img_3334予定通りユーリアの撮影は順調に終わり、ユーリアと冬の撮影の約束をして別れました。この頃は日本からフィルムを約2~300本持って出かけました。以前ユーリアをもっと撮影したいと思った時フィルムが足りなくなったことがありました。当時モスクワでプロ仕様のフィルムを売っている店はほとんど無く半日かけて探し回りました。やっと見つけても数本しか手に入らず、なんと不便な国なのだろーと思ったものでした。それ以後フィルムは持てるだけ持って行くことにしたのです。しかしフィルムも本数があるとかなりの重量になります。フィルムだけは行きも帰りも肌身離さず持ち、帰国すればフィルムは2回に分けて現像所に出していました。 何故ならば失敗されたら大変だからです。現像されたフィルムが届き仕上がりを目で確認できた時の達成感... デジタルカメラを使うようになった今は撮ったその場で確認が出来便利になったが何かが違う...。カメラが撮ってくれるのではなく人間の能力で撮ったフィルムの時代が何とも懐かしく思える。デジタルカメラよりフィルムが良いと思っていた私も今はすっかりデジタル化されてフィルムの重さ、フィルムの入れ方も忘れかけている。 クレムリンの川岸に北野武さんの顔と大きな広告看板が目に入りました。モスクワ川の船上から記念にパチリ。北野武さんの受賞のニュースを見てこの写真を思い出しました。


ロシアタレントとの出会い#59

3602撮影が終わりユーリアを近くの駅で降ろした後、私は地下鉄の駅で降ろしてもらいアシスタントと別れました。撮影が早く終わったので私はアルバート通りに行くことにしたのです。この通りはモスクワでもっとも古い通りの一つと聞いていたので行ってみたかった所でした。 古い街並み、ロシアの民芸品を売っている露店、ミュージシャン、特に観光客の肖像画を書く絵描きがあちこちにいたのが印象的だった。 人気のある絵描きの前には客が並んで待っている。そばで見ていると客の顔の特徴を良くつかんでなかなか上手に描いていました。 私はあちこち歩きながら町の風景を撮っていました。当時、カメラを肩にかけて街を歩いている人をほとんど見たことがありません。私も町を歩く時はバックの中にカメラを入れて目立たないように常に注意しながら行動していたのですが...少し怖い経験をしてしまいました。この時を最後にモスクワの町を一人で歩くことは止めました。何故ならクレムリンの近くで二人の警官に呼び止められパスポートの提示を要求され交番に連れて行かれそうになったのです。パスポートの不備があればモスクワには入国できないのですからこれは言いがかりだと思いました。パスポートに入れて置いた2,000ルーブルを警官に渡して何とかこの場を切り抜けました。しかし1時間後ホテルに帰る途中、二人の警官が私を見るなり駆け寄ってきて、又『パスポートの提示』と言うのです。彼らは前の警官の仲間でした。私に『2,000ルーブルくれ』と言うのです。私は彼らと関わりたくないので2,000ルーブル払いました。彼らは笑いながら『有難う』と言って去って行ったのです。私はほっとしたと同時にロシアの裏側を見た気がしました。この時以来、街を歩く時は必ずアシスタントと一緒に行動する事にしました。ロシア人が一緒であれば警官が言いがかりをつけることはないという事がわかったからです。


ロシアタレントとの出会い#58

01RBD30【ユーリア・ノーバ 夏・おもいでPart2】のシーンを数日かけて撮影しました。暑い日が続きユーリアも慣れない撮影で疲れていた様子だったので一日休息日をとる事にしました。 天気も良く気温は30℃を超える暑い日でしたが散歩を楽しんでいるユーリアを撮った写真です。少女のような初々しさのユーリアです。この洋服はユーリアの私服です。 あちこち歩いて暑くなったのかユーリアは上着を脱いでアシスタントに渡していました。広場の近くにあるレストランで休憩、ユーリアはケーキと紅茶を頼んでアシスタントと楽しそうにおしゃべりしていました。ユーリアに合う衣装が少なかったのでアシスタントがデパートに行こうと言い出したのです。広場の近くにあるグムデパートに歩いて行きました。ユーリアもアシスタントもショッピングに夢中でそばで見ている男の私には退屈な時間でもありました。衣裳に関してはアシスタントの意見を良く聞くことにしていますが、時々値段を考えずアシスタントは衣装を選んでくるので買うべきか悩むことも多くありました。アシスタントに衣裳を買わせると撮影衣裳の他に自分の下着や洋服も一緒に買ってしまうので本当に困りました。当初、ユーリアに合う衣装を日本で探すのは難しい事もあり仕方ないと黙認していました。


モデル発掘の旅2

8月末にキエフに行こうと思っています。キエフはモスクワに比べると何となく落ち着ける街です。モスクワの騒々しいい環境とはまるで違います。モスクワでもウクライナ生まれのモデルを何人も撮影しました。ロシア美女紀行の表紙のモデル、ナターシャはウクライナ生まれでモスクワの大学に通っていました。 彼女はダンスが得意で、オーデションに来たモデルの中でも目立った存在でした。彼女は私との撮影が最初で最後だと言っていました。私が撮影した後、彼女はテレビのCMなどに出て活躍していたようです。 モスクワのスタッフはウクライナ人は田舎者と言っていましたが私が見るにはウクライナ人の方がグラマーで美人が多いような気がします。ソフィー・ノーバもウクライナ生まれでした。街を歩いているときれいな人が目に付きます。でも私が探しているモデルは簡単に探せません。昨年秋まではモスクワからキエフに行く飛行機があったのですが今は直行便がありません。キエフに行くにはモスクワからワルシャワ経由で行くか日本からドイツ経由でキエフに行くしか方法がありません。時間と費用が前よりもかかるうえに安全も保障されません。スタッフがキエフからモスクワに迎えに来ると言うのです。なんと電車で24時間かかるというのです。スタッフ達は24時間かかる事を何とも思わないのですから、日本人と時間の感覚が違います。今思うと20年前ののどかなモスクワが懐かしく思い出されます。 写真はキエフで撮影に使った別荘です。この時、この別荘はロシアのテレビ映画のロケにも使われていました。『戦争』や『紛争』『テロ』』等、無縁な平和な風景に見えます。静かで緑の美しい場所...ここもキエフです。 IMG_3360IMG_3370


モデル発掘の旅

IMG_0321昨年に引き続き今年も8月にロシアに行く予定です。モデル発掘の旅です。 昨年キエフで現地のモデルエージェントやカメラマンと会い情報交換してきました。今注目度の高いモデル、ビクトリアとジュリアを今年撮る予定で計画していましたが、アメリカとドイツのカメラマンがすでに撮影してしまっていたという情報が届いたので私は撮ることを止めることにしました。私の場合は初ヌードを撮るというスタイルで長年仕事をしてきました。良いモデルの初ヌードを撮ろうと思うカメラマンは多く、生き馬の目を抜くようなネットの世界でモデル探しは行われています。モデルとの交渉や情報は秘密裡に行わないと一瞬にして情報が漏れてしまうのです。 3年前、ソフィ・ノーバを撮りたくて現地モデルエージェントとメールで何度も交渉を重ね、現地スタッフをモデル事務所に行かせ条件を提示して打ち合わせをさせました。本人の希望でしばらくヌード写真は公開しないという約束の元に撮影の承諾を得たのです。キエフでの撮影が終わり帰国後、彼女の水着写真を私のホームページで公開したところ情報が流れて彼女の元に世界中から撮影交渉があり私が作品化した時はネット上の売れっ子ヌードモデルとなっていました。このことは私にとって失敗でもあり良い教訓にもなりました。いろいろなカメラマンが彼女を撮影しましたが私が撮ったソフィー・ノーバの面影はどの写真にもありませんでした。後日、エージェントからも連絡があり私の撮ったソフィーの作品が最も気品ある美しい写真だったと言ってきました。私は以前にもまして情報を密に集めて動いています。でもユーリアに続くモデルはいまだに見つかりません。


ロシアタレントとの出会い#57

  img104 RBD29のシーンに使われている写真です。 RBD4にも使われたシーンですが今回の作品にもこのシーンは使いました。 このシーンの撮影の時、ストロボの調子が悪くすべて自然光で撮影しました。 結果的には自然光を使った事でこのシーンはユーリアの表情と色の美しさが際立った作品に仕上がりました。 6月30日にユーリアのDVD3作品 【ユーリア・ノーバ 夏・おもいで】『Part1』『Part2』『Part3』を発売します。 最初の夏に撮影したユーリアの作品です。 昨年ロシアに行き現地スタッフの協力でユーリアの会話シーンの翻訳を完成して来ました。帰国してからフイルムをすべて見直してみると初めて見るシーンも多くあり自分でも驚きました。これは是非、再編集して作品にしようと思い長い時間をかけて構想を練りました。全体のイメージが決まり一度目の編集が終わり、3作品にまとまったのが今年の初めでした。 5月までに4回、編集をやり直し、BGMも入れてやっと完成できたので試写鑑賞をしました。しかし自分としては何かイメージが合わないと感じ編集のやり直しを決めたのが5月中旬でした。すでに6月中旬発売と決めていたのですがやはり発売日を遅らせることに決めました。何故ならば納得のいく作品を発表したいと思ったからです。『6月中旬発売予定』が頭から離れず焦りを感じながら連日徹夜で作業をしました。音楽もシーンに合わせた選曲をし、全体の構成を変更して何度もスタッフと試写を繰り返しました。今回の作品は今までの作品の中で最も時間をかけた作品です。結果、とても良い作品に仕上がったので自分としては大変満足しています。 発売日が少し遅れた事でファンの方に大変申し訳なく思っております。 スタッフ一同で最善を尽くして良い作品に仕上げましたのでご期待ください。


ロシアタレントとの出会い#56

img今日は撮影を休みにしてユーリアとアシスタントと一緒に休日を楽しむことにしました。ホテルのロビーで11時に待ち合わせ。 ユーリアは黒のワンピースを着てロビーのソファーに座っていました。 少女っぽい顔、素晴らしいプロポーションのユーリアはやはり目立ちます。自分に向けられた視線を感じたのか彼女はちょっと恥ずかしそうに座っていたのを記憶しています。地下鉄や町で男の人が自分の胸を見るのでとても嫌だと彼女は話していました。出来るだけ胸の大きさが目立たないような服を選んで着ているそうです。赤の広場を歩いているとすれ違う男性が振り返ってユーリアを見ます。ユーリアは『胸が小さくなりたい』とつぶやいていました。皆で赤の広場に行き写真を撮り、デパートで買い物をし、タクシーで寿司バーに向かいました。寿司バーとは寿司を出すレストランで巻物が多く日本の寿司店のメニューとは少し違うようです。ユーリアは何でもおいしそうに食べますが特にタコが好きだと言っていました。


ロシアタレントとの出会い#55

img016撮影が終わり別荘からモスクワ市内迄戻るのに車で約1時間かかります。 連日撮影が続いたので明日は休みにする事にしました。時には皆でデパートに行ったり昼食を食べたりして仕事を忘れて過ごすのも良いものです。次の撮影に備えてリラックスする事はとても大切な事です。 ユーリアも『明日が楽しみ』と言ってモスクワ郊外の地下鉄の駅で車から降りて帰りました。 ホテルに帰りフイルムやカメラの整理をしていると窓から見えるクレムリンに夕陽がさしてとても美しい。夜の10時過ぎですが白夜なので夕方のようです。昼間の雑踏が嘘のような赤の広場を私はコーヒーを飲みながら眺めていました。私は赤の広場を散歩するのが大好きです。赤の広場の真ん中に立つと“ロシア来た”と実感します。 有名なワシリー寺院はロシアホテルの西玄関から300m先にあります。 残念ながらロシアホテルも現在は解体されてしまいました。


ロシアタレントとの出会い#54

img845今日の撮影場所の別荘地帯は警備が厳しいので安心して撮影が出来そうです。 今まで、外の撮影は危険なのでほとんどが別荘の庭で撮影していました。 アシスタントが近くにきれいな川があるから行ってみようと言いました。 ユーリアは別荘で水着に着替えちょっと長めのスリップドレスを羽織って出てきました。 別荘から5~6分ぐらい歩いて行くと川のほとりに着きました。遠くの方で子供たちが泳いでいるのが見えます。安全な場所と言ってもヌードの撮影は出来ません。遠くで見るときれいな川に見えましたが近くで見ると水は濁っていて泳ぐユーリアを撮れるような状況ではありませんでした。 自然のままの川だから汚くないとユーリアは言います。彼女が小さい時、友達と良く川で遊んだそうです。彼女は『懐かしいなー』とつぶやきながら『川に入っても良い?』と私に聞くのです。即座に私は『NO!!』と答えました。 川のほとりでピンクの水着を着たユーリアを撮影しました。ピンクの水着のひもが短かったらしく三角ブラの位置がアンダーバストまで届かないと笑うユーリアでした。対岸からこちらを見ている人たちがいるので撮影は早々に切り上げて別荘に戻る事にしました。


ロシアタレントとの出会い#53

img189 中庭にあるコテージでコーヒーを飲みながら、ユーリアはのんびりとくつろいでいました。 プールから出て濡れた水着のまま椅子に腰かけ、アシスタントが運んでくれたコーヒーカップを両手で持ち『ウコースナー(おいしい!)』と微笑んでいました。 撮影の無い日、私はアシスタントと一緒にモスクワのバザールに行き撮影用の衣裳をいろいろと探します。この水着はちょっと高級品でしたが肌触りも良く光沢のある青がきれいだったので購入しました。 『この水着を是非欲しい』とユーリアが言うので翌日の撮影後、彼女にプレゼントしました。 『今年の夏はこの水着を着て泳ぎに行くわ』と上機嫌のユーリア...『スパシーバ(ありがとう)』と言っていました。 偶然にも日本から持って行ったBUCHELOR誌の表紙のモデルが着ていた水着と同じだった事もあり本を見た彼女は大喜び、ブランコに乗ったりして自分の携帯でスナップ写真を撮っていました。青の水着を着て楽しそうにブランコで遊ぶユーリアの写真です。


ロシアタレントとの出会い#52

img188気温は30℃以上ありました。とても暑い日だったので撮影の合間にキッチンで度々休憩しました。黒のフォーマルドレスの撮影が終わって一休憩。ユーリアが暑がっているので水着の撮影にしましょうとアシスタントが言ってきました。午前中も水着の撮影でしたが水着は何着も用意してあったので今回はブルーの水着に着替えました。庭にあるプールで撮影開始です。プールと言っても子供が遊ぶようなプールで水もあまり入っていませんでしたがユーリアは水を浴びて楽しそうにポーズしていました。覚えたての日本語を盛んに話しながら...上機嫌のユーリアでした。


ロシアタレントとの出会い#51

  img昨日、帰る車の中でアシスタントとユーリアが明日の衣装の打ち合わせをしていました。明日の撮影場所は高級別荘地にある豪華な別荘を借りたのでフォーマルな衣裳を用意してあるとアシスタントはユーリアに話していました。 朝、集合場所に来たアシスタントとユーリアを乗せて撮影場所へ出発。 車に乗ると『最初の撮影は黒のフォーマルドレスで撮ってね。』とユーリアが言うのです。『私、モスクワの貴婦人になるから』と楽しそうに私に話しかけてきました。昨日はトレーニングマシーンで疲れたのではないかと心配していたのですがユーリアはすこぶる元気! カメラマンの私はまだ疲れが残っていて車の中で話す気力もないのにユーリアは本当に元気で楽しそうに話をしていたのです。天気も良いので午前中は庭で撮影する事にし、ユーリアには水着を着てもらいました。 昼食後、黒のドレスを着た彼女を撮影。 部屋から玄関、玄関から外へと移動しながらポーズするユーリアは貴婦人のようでした。時々彼女のしぐさが面白く思わず笑ってしまったことも思い出されます。どんな衣装を用意してもユーリアは着こなしてくれる、嫌な顔もせずどんな撮影もOKしてくれる、彼女だから私は疲れも忘れて意欲的に撮影を続けられたのだと思う。


ロシアタレントとの出会い#50

01夏の暑い日、モスクワ郊外にある庭の広い別荘を借りて撮影しました。 以前、冬に借りて撮影した事がある別荘でしたが再度借りることにしました。 冬に来た時は辺り一面雪景色だった為、庭がこんなにも広い別荘だとは思いませんでした。 ユーリアは別荘に着くなり部屋を見て回っていました。2階にあるトレーニングルームに並んでいるいろいろなマシーンにユーリアはとても興味を持ったようでした。冬に来た時は何もない広い部屋でしたがこの度はトレーニングルームに改装されていてミニ体育館のようでした。 ユーリアの希望で最初にトレーニングルームで撮影をすることになったのです。スポーツウェア―が無かったので彼女は持って行った衣装をいろいろ見ていました。彼女は髪を束ねて写真の衣装でマシーンに座って待っていました。 ユーリアは小さい時ダンスとか体操が好きで練習は良くしていたと話していました。16歳の頃から胸が大きくなったので体操よりダンスの方が好きだったとか。 マシーンにすわって筋力トレーニングをするユーリアの表情は本当に楽しそうに見えます。マシーンに夢中になっている彼女が印象的でした。このシーンはファンにとても人気があったようです。 マシーンに夢中になりすぎたのか...帰り際、『腕が痛い』と言って笑っていました。『次の日の撮影は大丈夫か?』と聞くと『今日はお風呂に入ってゆっくり休むから大丈夫』と言って帰って行きました。


ロシアタレントとの出会い#49

撮影場所のアパートが狭かったので撮影は半日で終わることにしました。 ユーリアを地下鉄の駅まで送る途中、木造の変わった建物を見つけました。 スタッフに聞くと教会だと言うので写真を撮りたくて立ち寄りました。 町はずれの誰もいないひっそりとした場所でしたがオレンジ色のマリーゴールドがとても印象的でした。教会の中には入れず残念だったが教会周辺の散策を楽しんだ。モスクワの夏は白夜なので夕方でも明るい。 美しく咲いているマリーゴルドの花の前でユーリアを撮影したのがこの写真です。 ユーリアが着ている黒のワンピースはユーリア自前の服です。 このワンピースはユーリアの胸が大きく見えないので彼女のお気に入りの服だと言っていました。言われてみると確かに胸が大きく見えないような気もする。 周囲の人から『胸が大きい』と言われるようになったのがユーリア16歳ぐらいの時だったとか。電車の中や町で自分の胸に視線を感じるのがとても嫌だったと話していました。その頃から彼女は周囲の目を気にするようになり、出来るだけ胸が小さく見えるよう工夫していたそうです。 胸の小さい人は手術してでも胸を大きくしたいと思っている。ユーリアは大きな胸を小さく見せたいと努力しているのだから何とも贅沢な悩みだと言われるだろう。 教会の近くにある地下鉄からユーリアは電車に乗って自宅に帰りました 0102


ロシアタレントとの出会い#48

123ブログ46に続きます。 このシーンも最初の夏にユーリアを撮った写真です。このシーンを撮影した時は予定した別荘が使えなくなり、急遽アシスタントの友人のマンションを借りて撮影することにしました。予定した別荘のエリアが一日中停電になる為、変更せざるを得なかったのです。当時のモスクワは電力不足の為、計画停電が日常茶飯事でした。 友人のマンションはモスクワ市内にあり部屋数が少なかったので大きなベッドルームを中心に時間をかけて撮影をすることにしました。何日も外の撮影が続いたので部屋の中の撮影をユーリアは大変喜びました。太陽に向かって立つことが多いのでモデルにとって夏の外での撮影はハードワークなのです。 今までの別荘に比べると小さな部屋なので移動も少なく、ユーリアはベッドの上でリラックスしてアシスタントと話に夢中になっていました。このような環境での撮影も時には良いのかなと思いました。この時のユーリアは比較的落ち着いた感じで写真が撮れています。


ロシアタレントとの出会い#47

6月末からモスクワに行きました。 今回の目的は現地に置いてある撮影機材の整理や撮影に使用した衣裳の整理をする為でした。毎回撮影スケジュールをこなすだけで精一杯の20年、荷物の整理をする時間も無く帰国していた。その為、衣装や機材は良く盗まれた。盗まれる度に保管場所を変えたりしてきた。 今はデジタルになりフイルムもカメラもストロボも変わってしまったので置いてある荷物の整理をしなければといつも思っていた。しかし紛争などがありすぐに行くことが出来なかった。現地に置いてある撮影機材や衣装などの多さを見て20年の月日を痛感している。当時はフイルムで撮影したので機材もアナログ...今思うとこんなに重い三脚やストロボを良く使って撮影していたなーと自分でも感心している。当時はストロボに使う積層電池も毎回日本から運び、空港で重量オーバーと言われ料金を払ったり...行く度にいろいろな経験をした事を思い出した。  以前、撮影したモデルがモデルエージェントのオーナーになっていて私の事を覚えてくれていた事もうれしかった。当時情報を提供してくれたスタッフやモデル達と食事をしながら20年間の出来事を皆で思い出していた。 偶然にもモデル、ヴァロリー・イレーネと食事をすることになり彼女からモデルの情報を聞くことも出来た。『私もユーリアの写真のように撮って欲しかった』と言った彼女。私の作品集を見せると非常に良く理解してくれて協力したいと言ってくれた。 私に情報を送ってくれた人たちが若くして亡くなっていたり...無我夢中で仕事をしてきたが気が付いたら20年も過ぎていたのだ。数えきれないほどの人と仕事をしてきたのだなーと改めて20年を振り返っている。 今回は懐かしい再会、偶然の出会いがあったりして楽しい時間を過ごせたと思う。  私は前から20年を区切りにロシアでの仕事を辞めようと思っていた。しかし今回ロシアに行ったことで新しい情報や協力を得ることが出来た。これは仕事の終わりでなくスタートとしよう。又、ロシアで撮影を続けたいと思う意欲が出てきた。今回現地スタッフとユーリアのフイルムを見直しながら会話のシーンを重点的にチェックしてみた。次回作はユーリアの会話のシーンを沢山入れた作品を発表しようと思っています。 img


お知らせ

ロシアに出張中なので今月のブログはお休みします。DSC_0294


ロシアタレントとの出会い#46

C12この撮影日のモスクワは良く晴れて気温は29度、湿度も無くさわやかな日でした。モスクワの夏は白夜なので夜の10時頃まで明るく、夕方も少し時間を延長して撮影出来ます。もちろん撮影時間が長いとユーリアは疲れてしまうのでユーリアと交渉しながら時間を延長していました。この日は撮影も順調に進み別荘も静かな所だったので19時頃まで撮影を続けました。午前中はベランダで撮影。2階のベランダは見晴らしの良い所で周りの景色が一望できます。この別荘の周囲には建物も少なく緑に囲まれ撮影には適した所でした。この写真はこのベランダで撮影した写真です。RBD4のパッケージにも使ったシーンです。籐椅子の横には大きなテーブルがあり、ユーリアはそのテーブルの上に大きなロシア製の地図を拡げていました。撮影の合間にその地図を見ながら『日本はここ?』とか『東京はどの辺り?』などいろいろ私に聞くのです。ユーリアは楽しそうにいろいろと私に話しかけるのです。いつも写真を撮られている事をあまり意識せずおしゃべりを続けているユーリアを撮り続ける私です。このベランダには熊のはく製が置いてあり、ユーリアは大きな爪を触ったり、熊が手を挙げているポーズをしたりして遊んでいました。このシーンは公開してあります。この日の撮影も順調に多くのシーンを撮影出来た事が何よりうれしかったと記憶している。


ロシアタレントとの出会い#45

B9撮影2日目、『今日は特別な区域にある別荘です』とアシスタントが得意げに言うのです。モスクワのホテルから1時間30分、郊外にある別荘に着きました。この区域は芸術家や富裕層が住む区域らしく入り口には自動小銃を持った警備員が立ち証明書を確認してからゲートを開けます。ゲートを入るとしゃれた別荘が立ち並んでいます。建物を眺めながらゆっくりと車は進み、今日の撮影場所の別荘に着きました。大きな私道に面した南欧風の白い別荘でした。庭は広く大きなバルコニー有、プール有、リビングルーム有、イメージの違う寝室有、屋上有、撮影場所としては最高の別荘でした。ユーリアは前日の別荘をとても気に入っていました。撮影環境が良かったせいかユーリアもヌード撮影に関しての不安が徐々に無くなり私との信頼関係も良くなっていきました。このようにアットフォームな雰囲気でヌード撮影が出来ることは珍しい事かも知れません。良い作品を作るのには撮影環境が最も重要な事なのです。 2日目の別荘はさらにゴージャスだったのでユーリアも大喜び、私が撮影準備をしている間に水着に着替えて庭に飛び出して行きました。


ロシアタレントとの出会い#44

D27ストロボが順調に使えるので撮影に集中できるようになったことは本当に助かりました。しかしストロボを使えない場所も多くあります。レフ版を使って自然光を巧みに扱うのは技術と経験が必要です。この写真を撮影した場所は大きな木に囲まれた森の中でした。 この場所でユーリアをきれいに撮るにはどうしようかと、シーンを想像して撮影を始めます。晴れた青空の下、曇りの時、窓から自然光の入る場所、撮影場所によってさまざまな色の光があります。写真は光の芸術です。差し込むいろいろな色の光を拾ってユーリアに当て、仕上がりを想像しながらシャッターを切ります。ユーリアの透けるような白い肌はライティングが非常に難しいのです。ユーリアが衣装を着ている時とヌードの時では状況も変わります。特にヌードの場合、周囲の光の色によりユーリアの白い肌は微妙に変化します。 ユーリアの肌をリアルに表現できる写真を撮りたいと一人何役もこなして撮影現場を動き回っている私です。ユーリアの撮影現場にはアシスタント2人しかいません。だから私がすべてやるしかない...想像を絶する忙しさなのです。 この写真は逆光に立ったユーリアにレフ版を反射させて撮影しました。この時はレフ版を三脚に立てかけてユーリアに光が当たるようにセッティングしました。ユーリアの肌が白いので森の木々の色を拾って健康的な肌色に映り、背景と人物がうまく重なってユーリアがきれいに見える写真となりました。 ユーリアの白い肌をどうすれば見たままの質感を出せるかいつも真剣に取り組んできました。


お知らせ

今月は仕事が忙しくブログの更新が遅れました。 今回は写真集Part1Part2に関して書いてみます。 写真集Part1Part2に関していろいろなご意見をいただいています。 写真集発売を望むユーリアファンの熱意に心が動きます。 しかし、本離れの時代に写真集を制作する事の難しさも痛感しております。 スタッフと協議していくつかの問題点がありました。 ●写真集がどのくらい売れるのかが最も重要な問題点となりました。 ●私の作品は限定数で制作する為、単価がどうしても高くなってしまう事。 ●ユーリアファンを動画派と写真集派に分けると圧倒的に動画派が多い事。 現在は上記の問題点などもあり写真集発売の結論が出せず悩んでいる状況です。 充実した内容の写真集Part1Part2、を制作したいので印刷方法や、印刷コスト...等、印刷会社からの情報などを集めながらスタッフと話し合いをして結論を出したいと思っております。 ユーリアの写真集Part1234が写真集のバイブルとして永遠に残ることは私の望むことでもあります。多くのファンがユーリアの写真集を買ってくれることを望んでいます。 02


お知らせ

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ロシアタレントとの出会い#43

23初日の撮影は天気に恵まれ自然光だけで良い写真が撮れたが、明日の撮影はどうしようと帰りの車の中で考え込んでしまった。ホテルに帰り明日の撮影の準備をしていたらアシスタントから変圧器を持っている友人を見つけたので今からホテルに持って行くと電話がかかってきた。以前、日本に住んでいた人が日本製の電気釜やテレビの電圧を100Vから200Vに変換する大きな箱型の変圧器を持っていたのだ。アシスタントが持ってきた変圧器を早速試したところ、ストロボが発光した。日本からロシア用のプラグと延長コードも沢山持って来ていたのでどの場所でもストロボを使うことが出来る。これで明日からの撮影は安心してできる。 撮影チームで外国に行く場合は十分な機材を持って行くことが出来る。私の場合はいつも一人で行動しているので持って行く機材は必要最小限、コンパクトにまとめて持って行く。毎回モスクワに行く度に必要な機材を運びモスクワのオフィスに置いて帰った。徐々に撮影機材の悩みは解決してきたが、日本で撮影をしているようにはいかない。不便極まりないモスクワでの撮影は大変だった。しかし、ストロボの充電が早くなり安定して発光してくれるので撮影がスムースになったことは何よりもうれしかった。 この写真は外の露出とストロボの光の露出を同じ数値にして撮影しました。 自然光とストロボの人工的な光を調和させて、ユーリアの肌とピンクの衣装がよりいっそうきれいに見える効果を狙いました。ストロボを使うことでユーリアのボディラインもくっきりと見えるのです。二日目の撮影も満足できる良い写真が沢山撮れました。


ロシアタレントとの出会い#42

D22ユーリアの初めての夏の撮影、撮影初日の事を書きます。 前回の冬の撮影ではストロボの光量が充分でなかったので、今回は日本からコンバーターと大型ストロボを買って持って行きました。しかし、コンバーターの容量が小さかった為、ストロボを数回発光させると電源が落ちてしまい結局、ストロボを使うことが出来ませんでした。  ユーリアを撮影する前の6年間は手持ちストロボに写真用乾電池を三脚にセットして撮影していました。当時の機材はすべて重いものばかり...フイルム10本が約300グラム、約10キロぐらいは持って行きました。バッテリー1個の重さが1キロ、この1個の電池でフイルム50本ぐらいしか撮れませんでした。バッテリーは毎回67個持っていただろうか。モスクワに出発する前は持って行く荷物を決めることが大変だった。機材の重さを量っては余分な物を減らしていた。今はデジタルになったのでだいぶ楽になったとは言え出発前の荷物の重さとの戦いは同じである。ユーリアを撮影するようになって増えたのが衣裳だった。  撮影初日、ストロボが使えず本当に困った。しかしこの日はラッキーでした。天気も良く部屋に陽が差し込む明るい別荘だった事もあり、レフ板をうまく使い撮影出来ました。撮影条件が悪かった場合、どうしたら良い写真が撮れるか...私は原点に戻って考えます。自分の感性と経験と技術をフルに使って撮影すれば良い作品につながると確信しているからです。もちろん良いモデルが第一条件ですがカメラマンの感性と技術も重要だったことは確かである。  最初の夏に撮影したユーリアの写真は『写真集Part2』の半分を占めています。最初ユーリアを撮っている時『本当にユーリアはきれいだ』と思いながらシャッターを押していたことを覚えています。撮影初日は苦労が多くありましたが本当に良い写真が撮れたと思っています。『災い転じて福となる』。


ロシアタレントとの出会い#41

img広い庭を見ながら『私、いつかこんな別荘に住みたいなー』とユーリアはつぶやきました。私が撮影のために選ぶ別荘の条件は花のある庭、木があり、庭か室内に必ずプールがあること、各部屋には格調高い家具があること...etc.レンタル料金が高くても良い作品を作るための必要条件です。又、ユーリアが気に入ってくれること...これが最も重要なことです。ユーリアを発掘する前は良い別荘を見つける手段がなく大変苦労しました。当時はまだ新しい別荘というものが無く100年前の屋敷を貸していました。私が初めてアシスタントに別荘を探せと言った時のことを思い出しました。私はアシスタントに古くても良いからロシアの雰囲気のある建物を探せと...別荘とはこんな建物....いろいろ詳しく説明をしたのです。撮影当日アシスタントが案内して着いた別荘を見て私は驚き言葉が出ませんでした。確かに建物は古い、部屋は木造、庭は広いが荒れ果てていて鶏が放し飼いにされている農家だった。トイレは庭に木の板で囲った中にブリキのバケツが置いてありました。私があれだけ詳しく説明して頼んだのに何も理解していなかったアシスタントに腹が立ち撮影を中止したのです。今までは撮影を中止することが嫌だったので私が我慢する事ばかりでした。彼らは今回も私がOKを出すと思っていたらしく悪びれる様子もなく機材を運んでいました。この時もロシア人と日本人との違いを感じさせられました。この時以来、私はアシスタントに妥協することを止めました。私が納得できる別荘が探せるまで撮影はしないとホテルにとどまっていました。私もアシスタントの力なくしてはロシアで何もできない事はわかっていましたが今回ばかりは私の賭けに頼るだけでした。2日経って『今度は絶対大丈夫』とホテルに電話がかかってきました。翌朝1時間かけて別荘に着きました。3メートルはある高い塀に囲まれた古い洋館でした。広い庭に大きな松の木が何本も立ち、雑草の手入れもされていました。スターリン時代の古い建物でしたが私のイメージに近い建物でした。今回ばかりはアシスタントも私が又怒るのではないかと心配そうに私に『OK』かと聞くので私は『OK』と答ええたのでした。どちらかと言うと今までアシスタントに仕方なく妥協する事ばかりでしたが良い仕事をするためには自分の意思をはっきりと伝えなくてはと思いました。日本人的なあいまいな態度はロシア人スタッフを動かすことはできないと.... アシスタントが私が納得できる別荘を探してくるまで約2年かかりました。その代り彼らが要求する報酬はエスカレートしていったのです。すべての支払いに彼らの報酬が含まれているのです。 15年近く私のアシスタントを務めた夫婦は私から得た報酬で現在別荘を経営しています。彼らは『智史さんのおかげでこの別荘が買えた』と今はとても感謝しています。15年前彼らが私から得た報酬は当時のモスクワの平均年収の5倍にもなっていたのです。 2000年になるとモスクワ郊外は別荘ラッシュで至る所に同じような建物が立ち始めました。別荘が建ってもインフラ整備はされていません。道路は未完成、電気は年中停電、建築も日本と比較したら問題ありの建物ばかりでした。しかし値段を聞くとビックリ...なんと1億円もするというのである。別荘の持ち主は警察官僚、政治家、マフィア、これがロシアの本当の姿だと彼らは嘆いていた。見てかけの良い別荘も彼らにとっては夢の夢...一般庶民には手の届かない別世界の事と思っているようだ。しかしアシスタント夫婦は毎回私の仕事で得た報酬を蓄え別荘を買ったのだから大したものである。私も彼らとはお金のことで良く口論したことがある。彼らはすべて前金主義、建て替えは一切しない、彼らはお金だけしか信用しなかった。日本人から言わせると『えげつない』この言葉がぴったり。当時のモスクワの別荘事情を書いてみました。


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DSC_0542 次回のブログは115日予定。


お知らせ

img973オークション出品と選挙投票日が偶然に重なってしまいました。 今月も仕事が忙しい為、この度のブログはお休みします。 来年春、発売予定のユーリアの新作は順調に編集が進んでおりますのでしばらくお待ちください。


ロシアタレントとの出会い#40

img975ユーリアが地下鉄の入り口から歩いてきた。 『おはよう』と言いながら近づいてくる。 久しぶりに会うユーリア、薄いブルーのセーターが良く似合っていてなんだか前よりきれいになったように見えた。ホテルの前の駐車場からモスクワ郊外にある別荘へ出発。約一時間で別荘に着いた。前の撮影の時は一面の雪景色だったので庭がこんなにも広いとは知らなかった。 周囲が高い塀で囲まれているので安全、人の目を気にせず心配なく撮影ができることを確認できた。庭の奥にはプールもあり花あり、木あり、自然に囲まれた豪華な別荘だった。木が多いせいか真夏なのに結構涼しい。 撮影機材を運びこんでから皆でお茶を飲みながら一休憩。撮影に慣れていないモデルの場合はお茶を飲みながら雑談することにしている。モデルとカメラマンとの信頼関係を作るためでもある。しかし現地スタッフは食べる、飲む、話す...パーティが大好き。いつまでも話していて仕事を始めようとしない。私がしびれを切らして立ち上がっても気にしないで楽しそうに話しているのだから困ってしまう。国民性だから仕方ないと思うのだがユーリアは違う。ユーリアは皆と雑談しながら鏡を前に置いてメークをしたり衣装を選んだり無駄に時間を過ごさない。仕事に真剣に取り組むユーリアを見習うべきと常々スタッフに言い聞かせている。しばらくしてからユーリアと二人で部屋や庭の様子を見ながら打ち合わせをして歩いた。 庭で楽しそうにしているユーリアが何とも自然で思わずシャッターを押してしまう。楽しそうにポーズするユーリアはまだあどけなさが残る少女だった。この時の写真はごく一部しか作品に使っていない。今フイルムやビデオのオリジナルテープを見直している。作品に使わなかった未使用のフイルムがかなり沢山あることに気が付いた。


ロシアタレントとの出会い#39

3637想像を超えたユーリアの人気に私は驚かされた。一人のモデルを撮り続けるとは思ってもいなかったが取り敢えずモスクワへ行く決心は出来た。 前回、ストロボの光量不足で大変苦労したので今回は海外でも使えるようなストロボを購入して持って行くことにした。当時はフイルムやバッテリーなど重いものばかり...機材を含めると手荷物の重量制限の20キロはすぐにオーバーしてしまう。カメラとフイルムだけは肌身離さず...機内持ち込み。持って行きたいものは沢山あるがどれを持って行くかどれを外すか...いかに手荷物を最小限にするか...毎回の事だが荷物の準備は出発直前までかかる。とにかく過去の経験から撮影に必要なものだけはどんなに重量をオーバーしても自分の手で持って行くことにしている。ユーリアの衣装はサイズが特殊なのでモスクワで購入することにした。 モスクワに到着後、別荘の確認をしなければならない。日本から別荘を探すようにスタッフに指示していたにも関わらず彼らが見つけてきた別荘はあまりにも粗末な別荘だった。激怒する私に彼らは『一生懸命探したが見つからなかった...探すのは大変』と愚痴を言う。当時は借りられる別荘が少なかったので彼らの言い分も理解できるのだが撮影場所が無ければ撮影は出来ない。特にユーリアを撮る場合は人の目を気にせず安全なところでないと撮影できない。スタッフと撮影できるような別荘を必死で探したが見つからない。前回使った別荘を再度借りられないか交渉したところ借りることが出来た。この別荘は庭も広く部屋数もあり調度品も豪華だったので申し分ない別荘である。運良く借りることは出来たが...足元を見られてしまったのか借りる費用は前より高い金額を要求されてしまった。『仕方ない』。ヌードの撮影はどこでも撮影できるわけではないのでどんなに費用がかかっても安全な場所であればOKせざるを得ない。何とかユーリアを撮影する準備が整った。 ホテルに帰りほっとする間もなく撮影機材の点検...毎回の事だが誰にも頼れない自分一人だけでしか出来ない作業である。明朝、日焼けしていないユーリアが現れることを祈って眠りについた。日本から何回もアシスタントに連絡してユーリアには絶対日焼けさせないように頼んだのだが...翌朝ホテル前に9時集合...。


ロシアタレントとの出会い#38

img 今月は仕事が忙しくブログを休みます。 オークション出品の衣裳の準備にかなり時間がかかっています。 ユーリアは好きな衣裳であるといろいろなシーンで何回も着ます。 同じような色や似た柄の衣裳も多い為、まずどのシーンで着用したのか探します。次に着用したシーンの写真をフイルムから探し出してプリントします。 ユーリアの愛用した衣裳を出品しますのでオークションに多くの参加をお待ちしています。


ロシアタレントとの出会い#37

AC-09思い出したことがあるので話を少し前に戻す。 ユーリアをテスト撮影し帰国してから写真を見せた所、ユーリアの撮影に同行したいと申し出があった。ユーリアを撮っても作品がヒットするか全く予測できなかった私にとって協賛者が現れたことはとても有難いことだった。渡航費用、撮影経費など費用の心配無くモスクワに行けるからだ。しかし、渡航寸前で協賛者が『費用を出せないので中止したい』と言い出したのである。『何故...どーして?』渡航寸前のこの事態は私には大変なショックだった。 ユーリアを撮る前の10年間、ロシアで撮影した作品は雑誌社が買ってくれたので自費で行くことに心配は無かった。前にも書いたが巨乳モデルを撮るのはユーリアが初めて。作品の買い手も無いままモスクワに行くことも初めて。すでにモスクワでの撮影手配をスタッフに連絡していた事もあり、自費で行くしかないとモスクワ行きを決めざるを得なかった。撮影した作品の販路も決まらないまま不安を抱えて一人でモスクワに出かけた時の気持ちは忘れることが出来ない。崖っぷちに立たされた私には『やるしかない!』こんな気持ちになったのは初めての事だった。今思えば真剣に取り組んだ結果は良い作品につながったし、ユーリアを独占で撮影することが出来たのだから『禍転じて福』となった。渡航前にこのような出来事があったので次回の撮影をするべきか悩んだが、撮影を継続しなければモスクワのスタッフとの縁も切れてしまう...『とにかくユーリアにかけてみよう』と決心できたのもユーリアとの不思議な縁だったのかもしれない。 次回の撮影は決まり次第連絡するとスタッフに伝えて帰国した。渡航前の事件もあり帰国後、ユーリアの作品をどこにも売り込まず発表もしないまま時間が過ぎてしまった。BACHELOR誌にユーリアの写真を数枚掲載したことがきっかけでユーリアの存在が日本のみならず世界の巨乳ファンに知られることになるのである。


ロシアタレントとの出会い#36

C-17撮影条件が良くない環境で撮影したVHS1,2,3だったがかえって良くない環境がロシアの雰囲気を出す結果となった。ロシアの美少女ユーリアの存在は世界中に知られることとなった。 モデルユーリアを撮影したいと世界中のカメラマン、映画製作会社、雑誌社、その他さまざまなところからの問い合わせが連日メールで届いた。ユーリアの意思を尊重してすべての問い合わせは断り続けた。しかし、アメリカからダニー・アッシュが来日して直接交渉してきた時はいささか断ることも出来ず...『有料サイトとは何ぞや..』.あまり良く理解しないまま画像を提供することにしてしまった。KIZU.NETを立上げたものの半年でやめることとなったり...その後、一度だけ興味を持てた問い合わせがあった。イギリスから『ユーリアを歌手として売り出したい』とのオッファーに私は心が動いた。話を伝えたがユーリアは全く興味を示さなかった。『やはりユーリアは私だけが撮影し彼女のイメージを壊さない美しい写真だけを発表していこう』と改めてその時決心したのです。 VHS作品も大量生産せず国内だけで販売していた。海外からは『どうして海外に売らないのか』と連日のように問い合わせ。『木津はケチだ』とバッシングもすごかった。『売らないからだ』と言われネット上にユーリアの画像が無断使用され氾濫してしまい収拾できない状態になってしまった。どうすることがベストだったのか... 結論は出ていない。一つ言えることはユーリアの美しいイメージを変えずに作品を発表した事かも知れない。長い間ファンを魅了し続けているユーリアの存在は奇跡に近いと思っている。 この写真はVHS VOL.1のパッケージに使った写真です。VOL.1のパッケージは当時一番人気でした。


ロシアタレントとの出会い#35

ユーリアを数日撮影し帰国。帰国後ユーリアの作品をどのように発表するか... 今までロシアの巨乳モデルを撮ったことが無かっただけにユーリアをどのように発表していくか本当に悩んだ。ユーリアが日本のファンに受け入れられるのか...不安を抱えながら作品作りをした事を思い出す。 いろいろな人の意見を聞き検討し、VHS作品を3作、作ることに決めたのです。初めての動画制作でもあり無我夢中で取り組んだ3本のVHS作品、シナリオの無いユーリアの撮影風景を自然に表現した作品として多くのファンを魅了できたことは自分にとって大きな自信となった。 出版業界にも陰りを感じ始めていた頃でもありインターネットの時代、デジタルの時代に乗り換える決心が出来たのは『ユーリア』の存在だったと言える。 ネット販売をするためのホームページ【RUSSIAN BEAUTIES】を立ち上げたのもカメラマンとしては時代に沿った対応だったと思う。ホームページを立ち上げてみたものの『ネットとは何ぞや』『デジタル化とは...?』良く理解しないままスタートしてしまった。 当初、ホームページにユーリアの写真を沢山アップするべきと言われ、ユーリアのヌード写真を惜しげもなく提供した。有料サイトと思われるほどユーリアのヌード写真をアップしたのです。メリットはユーリアというモデルの存在が世界中に知られたこと、予想以上のアクセス数でホームページもパンク状態になったこと。デメリットは無断盗用されたユーリアの画像がネット上に氾濫したこと。とにかく、ユーリア旋風に振り回されて右往左往するばかりだった。ユーリアのような美しい巨乳モデルはいなかったのかもしれないがこの反響のすごさにただ驚くばかりだった。 img


ロシアタレントとの出会い#34

img729ユーリアとカチューシャ二人の最後のシーンは一階、ロビーの茶色の大きなソファーに決めました。撮影にも慣れたのか二人の息もあって楽しそうにしている少女達、清潔感のある初々しい感じが印象的な二人でした。 ユーリアとカチューシャ、二人の写真を私は時間を忘れて撮影していた様です。最後のシーンを撮る時にはストロボの電池が残りわずかになっていました。 このシーンも沢山撮りたいと思いましたが電池切れで長い時間撮影を続けることが出来ませんでした。残念... 当時は手持ちのストロボを使用していた為、十分な機材力で撮影できる環境ではなかったのです。ユーリアの一回目の撮影は機材が無い状態での撮影だったので大変な努力をして撮影したのを記憶しています。次回、撮影の時は何とか機材を改良して少しでも良い状況で撮影をしなくてはと考えていました。 カチューシャとユーリアの撮影が終わったので集合したホテルの前まで車で移動しました。カチューシャの母親がホテルまで迎えに来ていました。帰り際にカチューシャは少し興奮気味に『今日は最高に楽しかった』と私に話し『又会いましょう』と言って握手して別れました。 ユーリアはアシスタントと明日の撮影の打ち合わせをしていました。打ち合わせが終わるとユーリアは『明日の朝の集合時間は9時ね』と私に確認し...『又明日』と言って友達と一緒にメトロの方に歩いて行きました。この日はすごく寒くて吐く息が真っ白...近くのビルの温度計を見上げると気温は-20度となっていました。 スタッフと別れてホテルの中に入りパスポートを提示してロビーを抜けてエレベーターに乗って部屋に戻りました。荷物を整理してすぐに明日の撮影の用意をしなくてはなりません。撮影済のフイルムの整理が済むと明日使う機材のチェック、フイルムの用意など完璧にしなくては...気が付くと夜の12時を過ぎていました。


ロシアタレントとの出会い#33

img722暖かな部屋にいると外の寒さをすっかり忘れて皆、軽快に動いていました。 私が何も言わなくてもユーリアは自然なポーズを決めてくれます。ユーリアの自然な動きに合わせて私はシャッターを押し続けました。ユーリアの動きはすべて絵になるのです。ユーリアも私も時間を忘れて撮影を続けていたようです。 お昼になったのでアシスタントが料理した食事を皆で一緒に食べました。別荘の台所は広くて清潔で調理器具は何でも揃っていました。デザートは暖かい紅茶とロシアのケーキ。ユーリアもカチューシャもすっかり打ち解けて和やかな雰囲気になっていました。早速、二人は赤いカーテンのベッドルームに移動し撮影開始。カチューシャのバストは大きくないけれど形の良いバストです。しかしユーリアと一緒に撮影を始めたらユーリアのバストに圧倒されてしまってカチューシャの戸惑う様子が見えました。しかし、あえて私は何も話さずカメラを構えて二人のポーズが決まるまでしばらく待っていました。カチューシャは性格も穏やかで品格のあるモデルです。ユーリアもやさしく思いやりのあるモデルです。相性も良かったのでしょう...すぐに意気投合して二人で話し合いをしながらポーズを決め、良い作品を作りたいという姿勢に変わっていきました。ベッドの上に二人の少女...本来ならエロチックな光景になるのかもしれませんが...なぜかユーリアとカチューシャはそのような雰囲気にならないのですから不思議です。カチューシャは英語が得意だったので私は通訳なしで英語で話をしていました。すると横でユーリアが私とカチューシャの会話を聞きながら軽くうなずいていたのが印象的でした。ユーリアは英語を話すのを恥ずかしがっていたのです。


ロシアタレントとの出会い#32

p27ホテルに戻り一休憩。ホテルの前にはロケバスがすでに待っていました。 ユーリアとユーリアの友人のネイルアーティスト、モデル、カチューシャとスタッフがロケバスに乗り込み撮影場所の別荘に移動です。 さすがプロのネイルアーティストです。撮影の合間にユーリアの爪にマニュキアを美しく施してくれました。このシーンはRBD1に収録されています。 ユーリアの友人は台所で食事の支度などしながらユーリアの撮影が終わるのを待っていました。 この写真は写真集Part1に掲載した写真と同じシーンの写真です。この時に着用した赤のドレスはユーリアが大学に入学した時にオーダーしたというドレスです。この赤のドレスはユーリアのバストが大きいので特別にオーダーしたと言っていました。ユーリアが着用できるサイズの衣装を日本で用意することができなかった為、デビュー当時の衣装はユーリア自前のものが多かったと思います。 外は粉雪が舞っていて別荘の周りの広い庭は銀世界...外の気温は-12℃...美しいい銀世界の中でユーリアを撮影したいと思いましたが撮影に慣れていないユーリアに無理は言えません。この日は室内だけで撮影することにしました。 この別荘は暖房設備が整っていたので各部屋の温度を上げて暖かくしてから撮影を始めました。ヌード撮影に慣れていないユーリアとカチューシャだったので特に最初は神経を使って環境づくりをしたことを記憶しています。それぞれ慣れるまでは女性スタッフとカメラマンだけで撮影し、後半二人が慣れたところで二人一緒のシーンを撮影しました。


ロシアタレントとの出会い#31

img2123か月ぶりのモスクワは冬。空港を出たら外は真っ白な雪景色、凍りつくような寒さに思わずコートの襟を立てて迎えの車に乗りこむ。翌日は早速オーデションがある為、ホテルに着くとスタッフとオーデションの打ち合わせ。夕食は日本から持って行ったおにぎりとパンで簡単に済ませ、撮影の準備、カメラ機材のチェック...やっと就寝...3時でした。 オーデション会場に60人ぐらいのモデルが集まり、その中から清潔感のあるカチューシャを選びました。カチューシャは大学生、もちろんヌード撮影は初めての仕事です。オーデションの後、テスト撮影をし、次の撮影に備えました。 翌日は撮影第一日目、モスクワは厳しい寒さで-10℃、再会を約束して別れたユーリアと3か月ぶりに会うことができました。ユーリアは微笑みながら私の頬に挨拶のキスをしてくれました。 ホテルから歩いて15分ほどでクレムリンの赤の広場に着きます。赤の広場の意味は『美しい広場』。赤の広場に鳴り響く鐘の音は幻想的で忘れることができない。 黒のフードのついたロングコートを着たユーリアは赤の広場の石畳の上に立ち止りました。その姿が凛としてあまりに美しく見えたので思わずシャッターを押したのです。聖ワシリー寺院を背にしたユーリアの写真は公開と同時に世界中に配信されてしまったのです。誰が見ても印象的で素晴らしい写真であった事は間違いない。 しばらく赤の広場でユーリアを撮影していたのですがあまりの寒さで私の指の感覚が無くなり撮影することができなくなってしまったのです。ひとまずホテルに戻り休憩です。 赤の広場からホテルに戻る時、雪が降り出したのでフードを深くかぶってさっそうと歩くユーリアの姿を今でも思い出します。この時のシーンの写真を見る度に郷愁を感じます。私はこの時以来モスクワに行くと必ず赤の広場に行くことにしています。このシーンが正式なユーリアのデビュー写真なのです。 この冬の撮影はカメラ機材の持ち込みの制限もありカメラ3台、ビデオ1台、電気も十分に使えない時だった。今から思うとこの悪い条件で撮影した写真はすべて当時のロシアの雰囲気を物語る作品に仕上がったように思える。今はカメラも良くなり電気も十分に使える時代になったがこの雰囲気を表現できる写真を撮れるかどうか...


ロシアタレントとの出会い#30

AF01モデル達と別れた後、ホテルの部屋に戻り荷物の整理です。 10日間の滞在も終わり、明日は帰国。撮影が終わった疲労感と安堵感で今日の撮影を思い起こすこともなく、ひたすら荷物の整理です。日本からフイルムを300本(36枚撮り)持って行ったのですがほとんど全部のフイルムを使い切っていました。フイルムの重さは約10キロ。荷物の中で一番大切なものは撮影済みのフイルムです。荷物の紛失もありうるのでフイルムだけは毎回、身に着けて帰国します。撮影の失敗は絶対無いという自信はありますが、現像の仕上がりを確認できるまではやはり気がかりなものなのです。 ロシア美少女紀行の写真集に登場させるモデル達を選んでT出版社に持っていきました。この時、ユーリアの写真は美少女紀行のイメージと違うので出版社には持って行かなかったのです。 ユーリアは今までのモデルとは別格のモデルだったので正直どうしようか大変迷ったのです。ユーリアは素晴らしいモデルだと思っていたのですが『世界に通用するモデルなのか...日本人に受けるモデルなのか...』自分としては確信が持てなかったのでBACHELOR誌の編集長に見てもらうことにしたのです。ユーリアの写真を一目見ただけで『20年に一人のモデルになるかもしれない...すごいなーこのモデルは..』と編集長は熱っぽく言ったのでした。世界のトップモデルを知り尽くしている彼の経験から自信を持ってユーリアを認めたのです。当時、世界の雑誌にもロシアの巨乳美少女は登場したことがなかったのです。私はモスクワのスタッフにユーリアを再度撮ると連絡し、早速撮影の準備を始めました。


ロシアタレントとの出会い#29

AB-053人のモデル達も皆、初ヌードです。3人とも街を歩けば男たちが振り返るほどの美女なのですがユーリアのオーラに圧倒されたのでしょう。マネージャーとモデル達の話し合いが長引いていたので『ヌード撮影ができないのならすぐに帰ってください。』と私は言いました。しばらくするとモデル達は説得されたらしく撮影の準備に入りました。私はモデルたちへの配慮として撮影はユーリアと同じようにしました。他のモデル達を撮り終えてみるとユーリアの素晴らしさに改めて気づかされました。ユーリアは最高のモデルの条件をすべて備えていたのです。モスクワに来て初めて最高のモデルに会えたという感激は今でも忘れることができません。3人のモデル達も一生懸命仕事をしてくれたので良い写真は撮れました。しかし、比較する事ができないほどの差があったことは事実でした。撮影が終わり皆でホテルまで帰り、ホテルの前でひとりひとりと握手をして別れました。ユーリアは小さな声で『ダスビダーニア(さようなら)』と言ってメトロの方へ歩いて行きました。


ロシアタレントとの出会い#28

img311何枚か写真を撮ったのでユーリアの青い服を脱いでもらいました。黒の下着になったユーリアはとても緊張している様子。ポーズを変えた時にユーリアの胸の大きさに初めて気が付きました。洋服を着ていると胸がさほど大きいとは思えなかったので...とにかくびっくりしました。ユーリアは胸を大きく見せたくなくてブラジャーで押さえていたようです。今まで撮影したモデルとは比較にならないほど白い肌の美しいバストでした。その時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。ユーリアの美しさに心を奪われてばかりはいられません。今まで経験のないほど撮影に集中した自分を思い出します。ユーリアは緊張はしていたけれど自然な動きが最初からできたモデルでした。こんなに気が合ったモデルとの撮影は本当に初めてでした。どんなポーズも絵になるのでシャッターを押し続けていた私に気が付きました。正直言ってこの時ほど他のモデルを撮りたくないと思ったことはありませんでした。もっとユーリアを撮影したかったのですが他のモデルのプライドを傷つけるわけにもいかないのでユーリアの撮影は2時間ぐらいで切り上げました。 他のモデル達がベランダからユーリアの撮影を見ていたらしく...3人のモデルが『私は今日、撮影をしたくない』と言い出したのです。明らかにユーリアの素晴らしさに圧倒されたのではないかと思いました。モデルのマネージャー達がモデルを説得していたのを思い出します。


ロシアタレントとの出会い#27

AY-15前日に見せられたユーリアの写真とはまるでイメージが違う美少女だったので思わず『あなたの名前は?』と尋ねると恥ずかしそうに『ユーリアです』と澄んだ小さな声で答えました。他のモデル達の集合時間は9時だったのでユーリアにはホテルのロビーで待ってもらいました。 黒髪を後ろで束ねて背筋をピンと伸ばし、ソファーに座っているユーリアの姿を見て何となく今までのモデル達とどこか違う感じがしたのです。その時は特別ユーリアの胸が大きいとは感じられなかったが今日は何か良いことが起こるような予感がしたのを覚えている。 この日は3名のモデルと一緒にユーリアも撮影用のバス(オンボロなワゴン車)に乗ってモスクワ郊外の別荘に向かいました。 バスの中ではユーリア以外の3人のモデル達は同じモデル事務所だったので楽しそうに騒がしくおしゃべりに夢中でした。ユーリアは1時間のバスの中でも一度も姿勢を崩さず外の風景を見続けていました。ヨーロッパ風の二階建ての庭が広い別荘に着きました。そして広い台所で30分ほどモデル達とお茶を飲みながら撮影の打ち合わせをしました。その後、撮影の準備のできたモデルから撮影を始めることにしました。今日は4人のモデルを撮影しなくてはならないので私ものんびりしていられず別荘のあちこちを見て歩きました。撮影を始める前にそれぞれのモデルのイメージを考えてどこでどのように撮るか考えます。太陽の光が柔らかいので庭を最初の撮影場所と決めました。台所にモデル達の様子を見に行くとユーリアだけがきちんと撮影の準備をして待っていました。他の3人はおしゃべりばかりして何も準備をしていなかったのです。その為、最初にユーリアと庭に出てポートレートの撮影を始めました。ユーリアは今日が初めての仕事だったのです。女性のマネージャーが日本人のカメラマンが撮る仕事だから安心しても良いと説明をしていたので仕事を受けたそうです。ユーリアはすでに日本のことを良く調べていて理解していました。ユーリアがとても緊張していたのでロシア人のスタッフが話しかけて彼女をリラックスさせていました。彼女は青いワンピースを着てカメラの前に立ちました。この写真がユーリアを撮った最初の写真です。